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デジタル人材育成とDSS(デジタルスキル標準)活用 「DXは、最初必ず失敗します」とトヨタが言い切る真意とは?

DX(デジタルトランスフォーメーション)は、デジタル活用で会社のビジネスを変革することです。DXの原動力は、何よりも従業員の方々の意識と行動です。既存業務と並行してデジタルスキルを学ぶ「リスキリング」を行い、現場に導入することで企業全体が革新していきます。
では、各企業の現場ではどのように「DX人材」を育成しているのでしょうか。

今回は【トヨタ自動車株式会社】様に取材。同社「デジタル変革推進室」ではデジタル人材認定と評価のための「デジタル バッジ」、アジャイルソフトウェア開発力を持ったエンジニア育成プログラム「デジタル イノベーション ガレージ(DIG)」などのユニークな施策を打ち出し、7万人を超える日本のトヨタパーソンのDX人材化を牽引しています。

ただし、日本を代表するトヨタでさえ、その推進は現在も試行錯誤の連続です。社内のさまざまな反応があるなかで組織横断的にDXに巻き込んでいく過程では、経済産業省とIPAが2022年8月に公開したDX人材のためのスキル集「デジタルスキル標準(DSS)」が活用されたといいます。
デジタル変革推進室室長・泉 賢人様、同主幹・藤野 哲様に伺いました。

本記事をお読みになり、DX推進の最初の一歩としてDSSを活用いただけますと幸いです。

トヨタの「DXジャーニー」独自の人材育成プロジェクトとは

―― トヨタ自動車様は2021年3月に豊田章男社長(現・会長)の「デジタル化については3年間で世界トップ企業に肩を並べたい」という発信が印象に残っています。DXに乗り出した経緯から伺えますでしょうか。

デジタル変革推進室室長・泉 賢人様(以降、泉):背景としては2018年に発表された「クルマをつくる会社」から「モビリティ社会をつくる会社」へのフルモデルチェンジです。「このまま過去のレガシーにとらわれていては、いずれトヨタはたちゆかなくなる」という経営サイドのメッセージが出され、本格的にDXに向けて動き出したのは2020年8月ごろ。

トヨタの「DXジャーニー」はまず「働き方を変える」ことから始まります。そして「プラットフォームを作る」。これらを整え「顧客体験を変える」ことができたとき、トヨタは変革できるというストーリーです。
そのなかでまず「働き方を変える」ために、デジタル人財を社内に育成しなくてはなりません。こうした全社横断的なDXの取り組みは当社にとってほとんど初でした。

IPA主催スキル変革ウェビナーのトヨタ様資料より

トヨタには自動車を作る熟練のハードウェアエンジニアが揃っていますが、いままではデジタルサービスを開発できるソフトウェアエンジニアはほとんどいませんでした。その育成を担うために2021年1月に開設された部署が「デジタル変革推進室」です。現在は230人ほどのメンバーが在籍しています。

―― 現在はどのような取り組みを行っていますか。

泉:大きくは2点あります。ひとつはデジタルの専門人財を認定/可視化するための制度「デジタル バッジ」です。スキルの習熟度がバッジとして可視化されることで自発的な研鑽を支援する狙いがあります。

もうひとつはモバイルやクラウドのアプリケーションの開発者養成プログラム「デジタル イノベーション ガレージ(DIG)」。いくつかのフェイズに分かれたプログラムを履修しジョブチェンジを目指すもので、スタートから現在までで100名超のデジタル人材を生み出しています。

―― 外部ツールを導入したり、社外に開発を委託してデジタル化を進めるのではなく、内部からソフトウェアエンジニアを生み出すという極めて積極的なDX人材育成ですね。

泉:トヨタは「内製化」で成長してきた会社です。それぞれの現場が低コスト・高品質・高速で「カイゼン」を繰り返すことで生産効率を上げ、クオリティを高めてきました。業務で使用するソフトウェアも自ら作り・アップデートし・活用できなくては本当にデジタル化したとは言えません。ツールを導入するだけでなく「働き方」をDXしなくては。
ただ、室長を拝命した時は「これは大変だぞ」と思いました。そして今も課題だらけです(笑)。

ポイントは「DX人材の定義」と「必要スキルの明確化」

―― DXを進める企業にとって、DX担当の選出は大きな悩み事のひとつです。「デジタル変革推進室」立ち上げ時のメンバー選定について伺えますでしょうか。

泉:実は、私と藤野さんは「推進室」の立ち上げそのものには関わっていないんです。私は2020年まで米国法人のトヨタファイナンシャルサービスに出向し、DXを担当していました。帰国後は日本の情報システム本部で従業員向けの基盤システム等を構築管理する予定だったのですが、日本でDXの方針が出されたことで急遽、現職に就任したという形です。

デジタル変革推進室主幹・藤野 哲様(以降、藤野):そう、私たちは最後に呼ばれたメンバーなんですよね。私は他社でDXを担当してきて、その経験をアウトプットしたいと思っていたところ、泉さんに声をかけていただき「推進室」配属になりました。

最初期のメンバーは職種にとらわれず、社内で「このままではトヨタは生き残れない」という危機感から変革マインドを持った個人が集まっていました。お客様のプライバシーを扱う技術部・法務部。営業部から異動してきたメンバーと、情報システム本部の出身者も数名ほど在籍していましたよね。ただ、みんな不安げでした。「何から手を付けたらいいんだろう?」と悩んでいました。

―― たしかに、7万人以上の社員を対象としたDXは途方もない取り組みに思えます。

藤野:いえ、本質的な問題は規模ではありません。「DX推進」のリテラシーが蓄積されていないことが原因ですね。つまりどの企業でも共通の課題がトヨタにもあったわけです。そこでまずは、DXに対してモチベーションが高い人、アジャイルな働き方ができそうな人を社内から一本釣りのように集めて増やしていきました。

泉:いまでももっとたくさん仲間が欲しいですよね(笑)。DSS(デジタルスキル標準)の人材類型でいえば「ビジネスアーキテクト」が特に足りない。そもそもどうやって育てていいかもわからないタイプの人材です。

出典:IPA「デジタルスキル標準 ver.1.1」

―― 最初期に行ったことから伺えますでしょうか。

藤野:まず2022年3月、トヨタの全人財をモデル分けしました。4カテゴリー22職種の役割を定義し、初級・中級・上級のレベル別教育体系でスキルを設定。22種のなかにはデジタル業務と直接関わらない職種も含まれますが、これはDXに無関係な社員を作りたくなかったためです。

IPA主催スキル変革ウェビナーのトヨタ様資料より

―― 2022年8月にDSSが公開される前に、社内でDX人材のイメージを作っていたということですね。

藤野:そうです。同時に「デジタルスキルを上げれば昇格できるのですか?」「評価につながるのですか?」という声があがりました。そこで社員にデジタルスキルを高めるメリットを与える仕組みの検討をはじめました。着目したのは情報交換させていただいた他社で使われていた「デジタルスキルを認定するデジタルバッジ」です。これを公式な人材認定制度に活用できるのではないかと。

IPA主催スキル変革ウェビナーのトヨタ様資料より

一方で、問題は運用でした。誰がどんな指標に基づいて認定するのか。管理者の主観で評価してよいのだろうか?

そうした課題を抱えていたときにDSSが公開されました。大きなメリットは「中立的である」ということ。評価が属人的にならず、さらに社外の方々の共通言語になりうる。これには助かりました。さらに22の全職種に共通するスキルと職種ごとの必要スキルを明確化できます。現在、22種類の役割についても、DSSを参考に見直しをかけ、共通スキル項目とのマッピングを進めています。

IPA主催スキル変革ウェビナーのトヨタ様資料より

―― ソフトウェアエンジニア養成プログラム「デジタル イノベーション ガレージ(DIG)」についてはいかがでしょうか。

藤野:DIGは2021年9月にスタートし、全体で2年間ほどのコースからなります。入門コース(計5.5時間)・基礎コース(60時間)の「DIGカレッジ」を現在の職務と並行して履修します。その後DIGに異動しエンジニアとして勤務します。DIGからは社内で利用するツールが複数リリースされました。

―― 「DIGカレッジ」は現場と並行してスキルアップしていく、一般的な「リスキリング」に近い仕組みですね。その後DIGに異動し、デジタル人材としてジョブチェンジする設計でしょうか。

IPA主催スキル変革ウェビナーのトヨタ様資料より

泉:車づくりの企業として、これまでも車の中、いわゆる組込み領域のソフトウェアエンジニアの育成には力を入れてきました。
しかし、クラウドやモバイル上で動くアプリケーションの開発に必要なスキルや働き方、キャリアの形成は同じソフトウェア領域とはいえ全く異なります。いわばスピードスケートとフィギュアスケートとは練習方法も道具も異なるということです。

藤野:そうですね。DIG異動後はデジタル人材は「デベロッパー」「プロダクトデザイナー」「プロダクトマネージャー」の3種の役割に分かれ、8名1チームで先輩メンバーからのOJTを受けながらツール開発を行います。短期間で育成するため、デジタル人材の「虎の穴」のような性格を持ちます。

泉:DIGのスタートにあたって私が藤野さんにお願いしたのは「広くチャレンジの機会があること」と「早い段階で自分の職場に戻れること」の2点です。「カレッジ」は社員が自主的に応募し候補者になれますが、DXのリテラシーを高めてもソフトウェア開発に向かない人もいます。そうした場合は「DIG」に進まず、持ち場にスキルを持ち帰って頑張ればいい。自動車で電気・水素・ガソリン駆動を選べるように、デジタル人材として生きていくことも選択肢のひとつなんです。

―― 「DIGカレッジ」と「DIG」のような自由参加と専門化の両立は、どの企業がDX人材に向き合う際にも有効な仕組みですね。

泉:スタートから約2年半が経ち、先日第五期生がDIGを卒業しました。そのなかで課題も次々と出てきています。DIGはスケールを目指すべきか、より質を重視すべきなのか。運営コストとのバランスを考えながら現在も試行錯誤しています。

「日本式のDX人材育成」を目指す トヨタから企業のDX担当者の方へ

―― DXは日本社会に浸透しきっていない取り組みであるがゆえに、社内の反発や無関心にさらされることもしばしばです。「デジタル変革推進室」ではどのように社員たちを巻き込んでいったのでしょうか。

泉:いえ、それは私たちが教えてほしいくらいです(笑)。全社一丸となってDXを広める難しさを日々痛感しているところです。
私はアメリカで3000人ほどの金融事業の組織のDXを担当して帰国しました。ところがなかなか当時のようには推進できません。業種ならではの原因と、日本という国が抱えている課題が同時に見えています。

まず業種による原因ですが、「金融関連ビジネス」と比べると「自動車ビジネス」は組織が大きく、かつ仕事が多様で複雑です。米国ではトップ層5人を説得すれば会社を動かすことができました。日本では各カンパニー・機能本部などを含めて27人ものトップの了解をとる必要があります。機動的に進めようとしてもどうしても手続きが増えてしまう。

加えて、日本という国が培ってきた労働観が課題化しています。アメリカは成果主義・実力主義で仕事も契約ベースのジョブ型雇用が主流です。対して日本はメンバーシップ型です。

この労働観の違いは自己学習意欲の差に現れます。アメリカでは自らのスキルアップは時間外に行う自己投資の一種ですが、日本ではスキルは会社から研修という形で与えられ、昇格とセットになっています。つまり「リスキリング」の価値を受け入れることが難しく、評価もされにくい。したがって競争力を上げにくいとも言えます。この課題はかなり根深いものです。

―― 働き方をDXするために重要なのは「アジャイルに進める」というマインドですが、日本特有の難しさがあるようですね。

泉:ええ。デジタルスキルを可視化し、車づくりのスキルと同等に扱えるような仕組み作りを進めながら、どうすれば社員の働き方がアジャイルに切り替わるのかを模索しています。一つ言えるのはDXのプロとして活躍している姿を示してあげることではないでしょうか。ゴールが見えれば自主的に動き出す人が続くかもしれません。メッセージを出し続け、手本を見せ続けて習慣化していかなくては。力を抜くとマインドはすぐ戻ってしまいますから。

それでも、いままでのDIGの活動を振り返って感じるのは、デジタル人材として将来のトヨタを支えなくてはならないという使命感を持った社員が実に多いということです。いままで自動車をつくってきたが、第二の人生をソフトウェアエンジニアで歩みたいという40代、50代のベテラン社員も集まっています。

どの企業でも、変革するのは社員なんですよね。日本のトヨタパーソンの強みを排除せず、日本の民主主義的な労働の中で機能するDXの正解を出したとはまだ言えませんが、糸口を掴んだところです。

―― 最後に、これからDXに着手する企業のDX担当者の方にメッセージを頂ければと思います。

泉:デジタル変革推進室をスタートするとき、ある人から「絶対に1回は失敗するから!」と何度も言われました。本当にその通りで、失敗から学ばなければうまくいかないものだと実感しています。ですから私からも「失敗することを受け入れてください」と。気負わずに、自信を持って進んでいただきたいと思います。

藤野:DXには全ての会社に当てはまる成功事例はなく、トヨタだから成功できるわけでもありません。ただ大切なのは社員ひとりひとりが選手としてどう輝けるかを考えていくことではないでしょうか。私は大谷翔平選手のようなスターを育てるより、全員で勝てるチームをつくりたいと思うんですよ。それはきっと、日本のメンバーシップ経営のなかでしかできないことですから。


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